7. 相談の結果、そのお金で、陶器師が粘土を取っていた畑を買い上げ、そこをエルサレムで死んだ外国人の墓地とすることに決まりました。
8. そこでこの墓地は、今でも「血の畑」と呼ばれています。
62-63. 翌日の安息日に、祭司長やパリサイ人たちがピラトに願い出ました。 「総督閣下。 あの大うそつきめは、確か、『わたしは三日後に復活する』……とか何とかぬかしていました。
64. それをいいことに、弟子どもが死体を盗み出し、イエスは復活したと言いふらしては、まずいことになりかねません。 それこそ、今どころの騒ぎではすみますまい。 大混乱になるかもしれません。 ですからどうぞ、墓を三日目まで封印するように命令を出してください。」
65. ピラトは答えました。 「よろしい。 では神殿警備員に、厳重に見張らせるがよい。」
66. そこで彼らは、石に封印をし、警備員をおいて、だれも忍び込めないようにしました。イエスは復活した!