3. キリスト様が来られるまでは、私たちもそれとよく似た立場にありました。 ユダヤ教のおきてや儀式によって救われると考えて、その奴隷となっていたのです。
4. しかし、ちょうどよい時が来ると、神様は自分のひとり息子を、女から生まれた者、ユダヤ人として生まれた者として、お遣わしになりました。
5. それは、おきての奴隷になっていた私たちを買い戻して、自由の身とするためであり、神様の子供として迎えてくださるためなのです。
6. このように、神様は、子としての私たちの心に、神の子の御霊を送ってくださいました。それで今、神様を「お父さん」とお呼びできるのです。
7. 私たちは、もはや奴隷ではありません。 神様の子供です。 子供であるからには、神様の持っておられるものはすべて、私たちのものです。 それが神様の計画だからです。
8. あなたがた外国人は、神様を知らなかった時、実際には存在しない、神々と呼ばれているものの奴隷でした。
9. ところが今は、神様を知っているのに〔というより、むしろ神様に知られているのに〕、どうして、もとの状態に逆戻りしたがるのですか。 おきてを守って天国に入ろうとする、あの貧弱で、無力で、役立たずの宗教の奴隷に逆戻りしようとするのですか。
24-25. ところで、この実話は、神様が人間を助けるために開かれた二つの道を示しています。 一つは、おきてを提示して、それを守るようにとお命じになった道です。 神様は、シナイ山でこの道をお示しになりました。 その時、モーセに「十戒」をお与えになったのです。 ちなみに、このシナイ山を、アラビヤ人は「ハガル山」と呼んでいます。 このたとえでは、アブラハムの奴隷である妻ハガルは、戒めに従うことによって神様に喜ばれようとする生き方の象徴、ユダヤ人の母なる都、エルサレムを表わしています。 そして、この生き方に賛同するユダヤ人は、すべてハガルが産んだ奴隷の子供なのです。
26. しかし、私たちの母なる都は、天にあるエルサレムで、それはユダヤ教のおきてに属していません。
27. イザヤの次の預言は、このことを言おうとしたのです。「喜べ、子供のいない女よ。喜びの声をあげよ、子供を産んだことのない女よ。あなたに多くの子供を、女奴隷の子供より多くを授けよう。」
28. 愛する皆さん。 あなたがたにしろ私にしろ、イサクと同じ、神様の約束に基づく子供です。
29. 約束の子イサクは、奴隷である妻の子、イシュマエルにいじめられました。 とすれば、聖霊様によって生まれた私たちが、ユダヤ教のおきてを守るように強要する人々から迫害される現状も、うなずけます。
30. しかし、聖書には、神様がアブラハムにこう言われたと記されています。 「奴隷である妻と子供を追い出せ。 その女の子供は、自由人である妻の子供といっしょに、アブラハムの跡継ぎにはなれない。」
31. 愛する皆さん。 私たちは、ユダヤ教のおきてに縛られた奴隷の子供ではありません。 信仰によって神様に受け入れられる、自由の女の子供です。